大納言メモ

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県内の城を歩こう!#3浜松城

こんにちは!

今回は、「県内の城を歩こう!#3浜松城」をお送りします!

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浜松城天守

浜松城は静岡を代表するお城のひとつです。

場所は静岡県浜松市徳川家康が29歳から45歳までの17年間居城としていた城です。

この期間の徳川家は、姉川、長篠・設楽原、小牧・長久手など、歴史に残る数々の戦に出陣しています。

また、宿敵武田家との遠州を巡る争いは激しさを増し、特に1572年の三方ヶ原の戦いでは大敗北を喫するなど、苦難の多い試練の期間でもありましたが、家康はそれを乗り越えて大大名へと成長し、天下人への道を歩んでいくことになります。

また、江戸時代には譜代の大名が代わる代わる城主を務めました。

浜松城主経験者が幕府要職(老中、大坂城代京都所司代など)に就くことが多かったため、家康の成功にもあやかって、いつしか「浜松城」=「出世城」と呼ばれるようになり、天保の改革でおなじみの老中水野忠邦も進んで浜松城主になったと言われています。

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若き日の家康公銅像

ちなみに、浜松市ゆるキャラに「出世大名家康くん」がいます。

浜松市の名物であるうなぎがちょんまげ、羽織にみかん、袴にピアノの鍵盤があしらわれている非常にかわいいゆるキャラです。

この銅像よりもかなりぽっちゃりゆるい体型ですが…w

運が良ければお城で会えるかも…w

 

さて、前回の「#2掛川城」で天守の話をしましたので、今回も天守の話を少しさせていただきます。

浜松城天守は「復興天守」(模擬天守とも)という分類になります。

「復興天守」とは、天守があったことはわかっているが、どういう構造の天守だったかはわからないため、忠実な再現ではないけれどもイメージして建てた、という天守です。

これが、「天守が存在しなかったことが明確」なのにも関わらず、城跡に天守を建てている場合は、「模擬天守」という分類になります。

浜松城天守は家康が居城としていた時代には無かったと言われています。

天守は、家康が関東へ移封となったのち、豊臣系の堀尾吉晴・忠氏親子が城主の時代に築かれたという説がありますが、これも定かではないそうです。ですから「浜松城天守」=「模擬天守」と紹介されていることも多いみたいです…

 

私は、堀尾時代に天守が存在したと信じています。

#1駿府城・#2掛川城も豊臣恩顧大名たちが城主になった時に立派な天守を建てていますからね。

きっと建てられていたと思いますw

ですからここではあくまで「復興天守」ということでw

 

ちなみに復興天守だということがよくわかる写真があります。

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浜松城天守

天守台の石垣と天守のサイズが全然違いますw

現代人があとから天守をのっけた感が伝わってきますw

 

天守台の写真を見てお気づきかもしれませんが、浜松城は無骨な野面積みの石垣が残っているところも見どころです。

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野面積みの石垣

三方原台地の斜面を利用して、大きな高低差をつけています。

地形をうまく利用しているのがよくわかるので、山城ファンも楽しめると思います。

縄張りも比較的想像しやすいです。

もちろん石垣が好きな人にもおすすめです。

城の周りは公園になっていますから、散歩をしに行くのも良いと思います。

公共交通機関でアクセスできると思いますが、三方原古戦場や犀ヶ崖資料館を巡りたい場合は車がおすすめです。

ぜひ訪れてみてください!

 

では今回はこのあたりで終わります。

次回からは少々マニアックな城になるかもしれませんがお楽しみにw

 

 

ありがとうございました!