大納言メモ

好きな事について気楽に書いていきます。

県内の城を歩こう!#24天方城

こんにちは!


今日も暑いですね🥵

酷暑とコロナでなかなか城巡りが再開できず、ネタ切れが心配になってきましたw


城とは関係ない歴史ネタとかも書いたりするんですが、やっぱり城の方が評判がいいようです。


読んでくださるだけでありがたいんですけどね🙏


ということで、今日も城のネタを書こうと思います。

今日は静岡県森町にある天方城を取り上げたいと思います!

前回の#23久野城に続き、これまた県内の城の中ではマイナー目なお城ですが、戦場になった回数は比較的多いお城で、遠州の覇権を争う武田・徳川の争奪戦に巻き込まれたお城になります。

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ちなみに、天方城は本城(古城)と新城と呼ばれる二つの城があります。

本城(古城)よりも防御性を高めるために新たに築城したのが天方新城になります。

今回取り上げるのは新城の方です。


天方新城は天方通興が築いた山城です。

通興は今川の支配下にあり、勇将として知られていましたが、桶狭間の戦い後に今川の勢力が衰えると、天方城の位置する遠州は浜松を中心に徳川勢力下に入ることになりました。

しかし、通興は家康に従わず敵対し続けたため、榊原康政・大久保忠隣ら徳川軍と戦になりました。

結果は、奮戦したものの力及ばず敗北、開城となりました。

一旦は家康に従う気を見せた通興でしたが、「下知に従わずに兵を集めている」との理由から、再び榊原康政大須賀康高らに攻め込まれ降伏。

ようやく徳川の支配下に入りました。


しかしその3年後の元亀3年、今度は武田信玄が4万の大軍で遠江に侵攻。

天方城は戦わずして降伏します。


翌年の天正元年、徳川は天方城奪還のため攻撃を決行。

平岩親吉を将とした徳川軍が本丸まで攻め入り、3日ほど包囲したところで降伏。


遠江国風土記傳には、のちにまた甲州(武田)の持城になったが、天正2年に家康が攻め寄せ、軍兵を配置したとの記述があるようです。



この記述が正しければ、10年も経たぬ短期間に徳川に4回、武田に2回攻められていることになります。

(今川ー徳川ー謀反ー徳川ー武田ー徳川ー武田ー徳川)

これだけ勢力が変わっても天方氏が処断された形跡がないのがまた興味深いところです。

徳川に背いても武田に寝返っても城主は天方氏でした。(武田は久野弾正を城に残していましたが…)

しぶといというか…狡猾というか…ある意味世渡り上手というか…どこか魅力的にも感じてしまうw


それにしても徳川に4度も攻め落とされた城って他にあるのでしょうかww


私は見せる城よりも実戦経験の多いお城の方が好きなので、楽しく見て回ることができました!

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城跡は公園になっています。

駐車場は整備されていますが、そこにたどり着くまでの山道は狭いので気をつけてください!

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外堀は駐車場によって一部破壊されていますが、内堀は綺麗に残っています。

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私のような土塁好きはつい駆け上がりたくなってしまうような素晴らしい土塁ですが、堀には入らないようにしてください。

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展望台からは遠州を一望することができます。

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磐田原台地と、その向こうに広がる天竜川の育んだ平野を見ることができます。

写真を拡大すると遠くにタワーが見えるのですが、おそらくこれが浜松駅の場所になります。


徳川軍が浜松から出陣して迫ってくる様子が手にとるようにわかったことでしょう。

なかなかいい立地です。




立地と土塁が素晴らしかったので、個人的にとても楽しい城でした🏯



以上で天方城は終わります!

またよろしくお願いします。

今回もありがとうございました!