大納言メモ

好きな事について気楽に書いていきます。

県内の城を歩こう!#23久野城

こんにちは!

 

今日は久しぶりの城投稿ですw

久野城を取り上げたいと思います。

 

みなさんは「久野城」を知っていますか?

私は最近まで知りませんでしたw

でも実際に行ってみると、見どころが多くとても気に入りました!

 

この久野城、『藩翰譜』という資料には、「当国第一の要害にしてたとい何万騎を差し向けても落つべくも見えず」と書かれているらしく、かなり堅固な城であったことが窺えます。

久野城は現在の静岡県袋井市。国名でいうと遠江国にあたります。

遠州の堅城といえば、#4でも紹介した高天神城が思い浮かびますが、久野城は「当国一の要害」ということで、高天神を凌ぐくらいの堅い城であったのかもしれません。

 

そんな久野城の堅固さは現在でも窺い知ることができます。

高天神城が急峻な山城であったのに対し、久野城は城内部が小高い丘になっており、城外は湿地に囲まれている平山城でした。

久野城の周囲は宅地開発がそれほど進んでおらず、当時の地形が想像しやすいことに加えて、現在でも一部湿地となっています。

また、城内には整然と区画された曲輪、土塁、堀、そして井戸なども残されており、城の中も外も大変見ごたえがあるお城でした!

 f:id:KJDSF:20200804180350j:plain

(城の大手)

久野城は、今川氏が遠江侵攻の拠点として築城したと考えられています。

城主は在地の領主であった久野氏で、今川に従って数々の戦で戦功をたてたと言われています。

桶狭間の戦いで久野元宗が討ち死すると、弟の宗能が家督を継ぎ、永禄11年には遠州に進出した徳川家康に属することになりました。

徳川に属してからも、掛川城攻め、高天神城攻め、小牧長久手の戦いで武功をたてましたが、家康の関東移封に伴い、下総に転封となりました。

徳川旧領の諸城が軒並み豊臣恩顧の武将に与えられると、久野城も秀吉とのゆかりがある松下氏が城主となりました。

1603年、久野宗能は久野城主に復帰しますが、宗成の代に徳川頼宜の家老として紀州入りしたため、代わりに北条氏重が城主となります。

1640年、北条氏が関宿に転封となると、城は横須賀藩預かりとなり、1644年に廃城になったそうです。

 

 

久野城は比較的よく整備されていて、パンフレットも常備されています。

コンパクトな城で見学もしやすくなっています。

f:id:KJDSF:20200804180522j:plain

(大きな土塁)

 f:id:KJDSF:20200804180445j:plain

(高低差がよくわかる)

おすすめポイントは、とにかく城地と湿地との区別がよくわかるため、いかに攻めづらい城であったかということが体感できるというところです。

名の知れたお城も良いですが、整備がしっかりしてあって当時の名残が見られるお城、昔をイメージしやすいお城が良いですよねぇ。

 

すごく楽しくまわることができました。

 

 

本日はここまでにします!

ありがとうございました!