県内の城を歩こう!
こんにちは!
本日から「県内の城を歩こう!」と題しまして、私の居住地である静岡県内のお城を取り上げさせていただきたいと思います!
コロナ禍の大変な時期ではありますが、県をまたがない移動への規制は解除されたそうなので(静岡県・詳しくは最新の情報をご確認下さい)、節度を持った行動を意識しながら、運動もかねてお城へ出かけてみてはいかがでしょうか。
静岡県外の方すみません…😿
でも県外の方も、コロナが収束し、県をまたぐ移動ができるようになったらぜひ訪れてほしいと思います!
では本題に・・・まず、静岡県にあるお城といえば、駿府城や浜松城、掛川城などが挙げられます。大河ドラマにも度々登場する有名なお城です。ただこの他にも静岡県には、歴史上誰もが知る人物にゆかりある城であったり、誰もが知る戦に関連のある素晴らしいお城がいっっっっぱいあります。
でも天守がないからか、静岡県民でも上に挙げた3つ以外の城を訪れたことのある人はあまりいません…😿
ですから、県外に出られない今こそ、静岡の歴史・城を見つめなおしてみてください!
静岡の戦国史って意外と有名人がたくさん登場しますw
ターニングポイントとなる事件も起きますw
知れば知るほど面白いです!
では、城の話題に入る前に少し静岡の歴史(戦国時代あたり)について、簡単におさらいしたいと思います。
静岡県は当時、駿河・遠江・伊豆という3つの国に分かれていました。
範囲はー
県西部(大井川以西)が遠江国
ーとだいたいこんな感じです。
静岡県を代表する戦国武将というと誰を思い浮かべるでしょうか?
家康は生まれは愛知県の岡崎ですが、長いこと静岡県内で暮らしていましたから、静岡を代表する戦国武将として親しまれています。
もう少し歴史が好きな方は「今川義元」と答えるでしょう。私も、静岡を代表する戦国大名と聞かれたら今川義元を挙げます。
特に駿河は今川家の影響力が強かったですし、その本拠地である駿府(現静岡市街)は今川家のもとで発展しました。当時は天下に最も近い男だった今川義元。
ただ残念なことに、桶狭間で織田信長に討たれたことが強く印象に残るため「愚将」と呼ばれたり、高貴な家柄から公家文化に精通していたため「公家かぶれ」などと言われることもあり、マイナスイメージばかりもたれてしまっています。
その結果、天下人家康ばかりがフィーチャーされ、駿府の礎を築いた義元が静岡人に認知されないという悲劇を生んでいます…😿
ぜひともこのブログを通じて、今川家に対する正しい認識を持っていただけたら嬉しいです。
さて、「徳川家康」・「今川義元」と静岡にゆかりのある戦国大名を挙げてきましたが、実は全国的にも有名で人気の高い、甲斐の「武田家」や小田原の「北条家」なんかも静岡県にはゆかりがあります。
戦国大名今川家が滅亡した後、駿河は武田家の占有するところとなりました。よって駿河、特に駿遠国境(大井川)付近の城では、その多くが武田家の改修が加えられた城となっています。
「人は城、人は石垣、人は堀…」とうたわれたように、家臣とのつながりを重視し、甲斐国内にはあまり城を築かなかった武田家ですが、実はその築城技術はとても高く、そんな武田流城郭がみられる城が静岡県にはたくさんあります。
一方伊豆では、北条流の築城技術をみることができます。先日投稿した山中城もその一つです。
伊豆は約100年間にわたり北条家の支配下にありました。本拠地小田原城を拠点に活動していた北条氏ですが、初代北条早雲が戦国大名として旗揚げしたのは伊豆国で、北条氏にとって伊豆は特別な場所でありつづけました。
このように、静岡県域はさまざまな戦国大名にゆかりがあるのです。戦国を語る上で欠かせない地であることは間違いありません。
ただそこに住む静岡県民が、徳川家康しか知らないというのは少々寂しいことです😿
ですから、静岡の戦国史を振り返るその一助となるよう、当ブログでは今後もいろんな城を紹介していこうと思いますので、ぜひこれを機に興味を持っていただけると嬉しいです!
では、長くなってしまいましたので今回はここまで!
城を紹介するはずだったのにできなくてすみません🙇w
次回はちゃんと城を紹介しますw
それでは!