大納言メモ

好きな事について気楽に書いていきます。

戦国の世界情勢って…

こんにちは!

今回は戦国期の世界情勢について書きたいと思ってます。

というのも、先日NHKで放送された『NHKスペシャル 戦国−激動の世界と日本−第1集 秘められた征服計画 織田信長×宣教師』をようやく見ることができ、その感想でも書こうかなと思って今日はこのテーマにしました。

どうやらTwitter上では賛否両論飛び交っていたようで、歴史ファンからしても新鮮かつ刺激的な内容だったかと思います。

普段、戦国時代を語るときは国内の情勢しか語られることはありません。

〇〇家がどうしたとか、〇〇地方に侵攻するとか、日本のある家と日本のある地方のお話です。

しかしこの番組ではそのような話がほとんど出てきませんでしたw

出てきたのは日本とスペイン、日本とポルトガルといった国家間の関係性です。

その関係性を織田信長と宣教師のやりとりに注目して番組が作られていました。

そして今までの戦国史からすれば大変スケールの大きなお話になっています。


このブログだけで番組の内容まで細かく伝えることはできませんが、もしご覧になった方がいたら番組の内容を思い出しながら私の意見・感想も読んでいただけたらなぁと思います。(軽〜い気持ちでねw)

番組をご覧になってない方には少々伝わりづらいこともあるかもしれませんがご了承ください🙇‍♂️

(おそらく何回か再放送あると思います。NHKなんでw)



では本題に入りますが、まず番組を見ての率直な感想は「この題材を取り上げてくれてありがとう」でした。(ちょっと誰目線なのか自分でもわかりませんがw)

世界の情勢、特にスペインやポルトガルに着目して日本の戦国史を語ることは重要だなということは私も常々思っていました。

そして豊臣秀吉の行ったバテレン追放令や朝鮮出兵に関しては、世界情勢を交えながら自分なりに理由付けや説を作ったりしていました。

でもなかなか語る場(相手)がなかったですし、話したとしても理解してもらえることも少ないんですよね。

理解してもらえないのは、世界情勢が加わると説明も長くなってしまって説明下手な私では途中からわけのわからない話になってしまうことがおそらく1番の理由ですが、そもそも戦国にはロマンを求めていて、そういう現実的な政治とか地政学のような話は眠くなるから聞きたくないというのもあったのではないかと思います。

ですが、戦国時代のミステリーというのは比較的狭い視野で、かつ先入観にとらわれているものが多く、視野を広くするとつじつまの合う単純で合理的な話が多いということも事実ではないかなと思います。

(謎は謎のままのほうが面白いというのもよく分かりますがw)

ですのでこの番組、世界から見たこの頃の日本はどうだったのかという、歴史を語る上で必要な1つのベースの知識としては大変良かったのではないかなと思います。



番組は前半に織田信長と宣教師の関係、後半に豊臣秀吉と宣教師との関係を取り上げていました。

正直なところ、大方の流れは私の思い描いていた説と同じでした。(放送後ならいくらでも言えますけどねw)

宣教師たちがただキリスト教を広めにきたわけではなく、もともとはポルトガル(スペイン)の世界征服の一環として送られたスパイのような役割を担っていたが、100年にもわたる内紛状態にあった日本では兵士たちの練度が高く、武力で征服することは困難とみたため、キリスト教を布教し内側から征服していこう、という思惑があった。というのが私の説です。

そして、呂宋(フィリピン)がスペインの手に落ちたことを知った秀吉が宣教師たちの本当の思惑を知り、信長時代から認めていたキリスト教布教許可の政策を一転、バテレン追放令を出して朝鮮出兵を決断したのではないかという説です……が、番組では信長と秀吉は早い段階でこの思惑に気付いていたとされていましたね。

番組によれば、宣教師たちは日本の武力を利用して明を征服してしまおうと考えていたようです。

信長はそれを知っていましたが、その南蛮の力を逆に利用して軍事力を高め天下統一を目指しました。

豊臣の世になると、キリシタン勢力に脅威を抱いた秀吉は国内のキリシタン大名朝鮮出兵の先鋒を任せることで疲弊させて力を削ぎつつ、朝鮮を征服したらフィリピンにまで出兵してスペインの富を奪おうと考えていたと放送されていました。

秀吉がフィリピンにまで侵攻してスペインと対決しようとしていたかについては私は疑問に思いますが、信長の時代から宣教師と駆け引きを行なっていたことは興味深いなと思いました。

日本のことで手一杯かと思いきや世界から日本をどう守るかということまで考えていたのなら、やはり信長はとんでもない人物です。

秀吉に関しては、特に晩年の行動は傲慢さが目立ち、歳のせいとか野望が大きくなりすぎたとかマイナスなイメージで語られることも少なくないですが、日本を守るための行動だったという考えも一理あると思います。


信長や秀吉がポルトガル・スペインと頭脳戦を繰り広げたのに対して家康はイギリス・オランダと接近します。

ヨーロッパではスペインの無敵艦隊がイギリスに敗れ、大英帝国の時代が始まろうとしていました。

スペインの勢力は次第に弱まり、新興国のイギリス・オランダが台頭してきます。

スペイン・ポルトガルは貿易と布教をセットで行いましたが、新興国は別でした。

よって家康は布教活動をしないイギリス・オランダとだけヨーロッパ貿易を続けることにしたのです。

次第にイギリスが撤退してヨーロッパとの貿易はオランダだけになりますが、それは1620年代頃に東南アジアで発生したアンボイナ事件が原因であると思われます。

オランダがイギリスの勢力を排除して、イギリスは東アジアからの撤退を余儀なくされました…

実はこの番組第2集がありまして、次回は徳川家康がイギリス・オランダとどう付き合うようになったかという話になります。

ですから次回も楽しみです。

アンボイナ事件出てくるかなぁ…?w


余談ですが、織豊時代の南蛮との関係は「トルデシリャス条約」と「サラゴサ条約」も大いに関係していると思うで、番組で出てくるかなと思ったのですが、出てきませんでしたね…

番組中に「我々には日本を征服する権利がある」みたいなことを宣教師が言っていました。

なんて理不尽な!そんな権利あるわけないだろ!と思いますが、おそらく上記の条約のことを示しているのだろうと思います。

スペインとポルトガルは地図上に線を引いて、この線から東はポルトガル、西はスペインというように勝手に領土分配をして開拓を進めていきました。

その分配では東アジアはポルトガルに属することになっていたため、日本を征服する権利はポルトガルにあったわけです。

しかしそもそもこの条約が理不尽すぎますw

今だから笑っていられますが当時としてはとんでもないことです。

その土地の文化や自然を大切にしよう、なんて概念は無い時代ですからね。

南米では虐殺やヨーロッパから持ち込まれた疫病によって多くの先住民が亡くなり、文明も滅びました。

そんな危険が日本にも迫っていたと想像してみてください。

信長や秀吉はそんな魔の手から日本を救ってくれたのかもしれません。

国内では大紛争をしながらそれをまとめつつ、外交では一歩も引かずに国を他国の介入を防ぐ。

なかなかできないことですよね。

大体どこの国も内紛が起きればその処理に追われたり、収束されられなくて他国の力を借りてしまい、それが新たな火種となっていつまで経っても豊かにならないといった問題があります。

そんななか独立を保ち続けることができた日本はやはりすごいのかもしれません。

三英傑様々ですね。

見直しました。



今回はそろそろ終わりますがやっぱり話がぐちゃっとなってしまいましたね😅

これ読んだけど説明がよくわかんない、という方はNHKをご覧くださいw


ではまたよろしくお願いします。

ありがとうございました。