大納言メモ

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県内の城を歩こう!#13蒲原城

こんにちは!

今回は蒲原城を取り上げたいと思います。

 

前々回から、「信長公記」に記されている信長富士山見物ルートをたどりながら城を紹介しています。

蒲原に関しては、「1582年4月13日、早朝に浅間神社を出発した信長一行は田子の浦を通って富士川を渡り、神原の休憩所でしばらく馬を止めた」ということが記されており、この神原=蒲原であると思われます。(読みはかんばらです。)

「蒲原の休憩所」ということで城に滞在したのかは不明ですが、近くを通りかかったという事で取り上げることにしました。

 

 

原城静岡県静岡市清水区にある山城です。

富士川の右岸、標高138mの山に築かれています。

この辺りは海にまで山が張り出していて平野部が非常に狭い地形となっています。

城からは駿河湾東海道を良く監視することができます。

城の西に見える薩埵峠を越えると興津・清水湊を経由して駿府へ入ります。

甲斐・伊豆・相模方面から駿府へはほとんどの場合ここを通らなければならないため、軍事・交通の要衝であり東海道でも有数の難所です。

現在も国道1号線東名高速道路東海道本線が集中していて東西交通の重要な場所であることが伺えます。

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原城は#12興国寺城と同様に今川・武田・北条それぞれにゆかりのある城です。

河東の乱で富士川一帯の情勢が不安定になると今川の前線拠点として活躍しますが、武田が駿河侵攻を開始し今川氏真駿府を追われると、今川の援軍に来た北条氏が入城し北条の拠点となります。

北条氏は蒲原城に入ることで駿府にいる武田勢を封じ込めようとしました。

その際、北条氏は蒲原城北条幻庵の次男・北条氏信を入城させています。

北条一門の武将を配置していることから、武田を駿河に入れたくないという強い意志があったのではないでしょうか。

また、蒲原城を前線拠点とすることで河東一帯を北条の支配下に置くことができることもその意図であったかもしれません。

退路を断たれそうになったことで一旦は甲斐へ戻る武田勢ですが、再び駿河に侵攻をはじめ蒲原城を総攻撃しました。

壮絶な戦いの結果、蒲原城は落城し北条氏信以下北条勢と今川諸将は多数討死にしました。

その後は武田が北条に対する備えとして城を改修し、1582年の武田征伐で織田・徳川勢に攻略されるまで活躍しました。

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原城の鳥瞰図です。

城は今川・北条・武田と城主が変わるたびに改修がなされて規模が拡大していきました。

武田信玄は蒲原城のことを「海道一の堅城」と称したそうです。

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本廓まではこのような道が続いています。

右の斜面には石垣が確認できます。

石垣の上には曲輪が配されているので右上方から射撃を受けることになります。

足軽の気持ちで歩いてみてください。かなり怖いですw

400年も経って城は風化して荒れているだろうに、登ってくる人に恐怖を与える城ってすごいと思います。

作り方が上手いのでしょうね。

まぁ、鬱蒼とした茂みからイノシシなどが飛び出してくるんじゃないかっていう別の恐怖もありますけどねw

でもそのイノシシが昔は敵兵だったというだけですから本質的には同じですね。

やっぱり名城なんでしょう。

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最後に!

これは確か善福寺曲輪だったかと思いますが、尖った木がいくつも置いてあるのがおわかりでしょうか。

逆茂木です。

敵に簡単に侵入されないように曲輪の周囲に配置したり、堀底に敷いて落ちた敵を負傷させるために木の枝を削ったものです。

逆茂木まで再現されている山城はそう多くはないと思います。

これは完全に復元ですけど、あると当時をイメージしやすくなっていいですよね。

ただ蒲原城に関しては「逆茂木置く前に草刈りしてくれ」と思いましたがww

 

 

原城いかがでしょうか。

駐車場も完備されていますしアクセスもしやすいと思います。

絶景も見れますのでぜひ訪れてみてください。

 

ではまたよろしくお願いします。

ありがとうございました。