大納言メモ

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県内の城を歩こう!番外編 #11 富士山本宮浅間大社

こんにちは!

今回は城巡りの番外編として富士山本宮浅間大社を取り上げたいと思います。

本日は城ではありません。(少しはでてきますが・・・)

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なぜ急に神社...?ということですけども、

私、最近になってようやく「信長公記」を読むことができました。

もちろん現代語訳版ですw

歴史好きの方はご存知かもしれませんが、「信長公記」は太田牛一という織田信長の側近が記した信長の伝記です。

信長の行動や発言が細かく書かれていて、織田家の隆盛と当時の情勢を知ることのできる貴重な資料でもあります。

そんな「信長公記」に浅間大社が登場したので浅間大社について書くことにしましたw

 

信長は1582年(本能寺の変の3か月ほど前)に甲斐の武田家を滅ぼした帰りに、富士山見物と称して駿河遠江三河を通って帰城します。

各地の城に宿泊しながら名所を見物し、ときには在地の人に詳しい説明をしてもらいながら観光を楽しんでいきました。

(本当に観光であったかは疑問ですが・・・また別の回でw)

甲斐を出た信長一行が駿河に入って最初に宿泊したのが、静岡県富士宮市にあります富士山本宮浅間大社です。

 

というわけで今日から数回は、「信長観光ルート」をたどりながら城や名所を紹介できたらなと思います。

 

 

では、浅間大社の紹介をしたいと思います。

富士山本宮浅間大社は富士山信仰で広がりをみせた全国約1300余りある浅間神社総本宮です。

駿河国一之宮でもあります。

一之宮とは、律令国で最も社格の高い神社のことを言います。

つまり浅間大社駿河で最も社格の高い神社でした。

そして国司に任ぜられると最初にあいさつに行くのが一之宮です。

もし駿河国司に任ぜられることがあれば真っ先にここへ来てください。

ちなみに、○○宮という神社(お宮さん)に関する地名は全国各地にあります。

浅間神社のある「富士宮」はもちろん、埼玉県の「大宮」、神奈川県の「二宮」、栃木県の「宇都宮」、愛知県の「一宮」、兵庫県の「三宮」などが挙げられます。

市町村名にまでなるお宮さんは歴史があって名の知れたところが多いですが、地元の小さな神社でも「宮下」とか「宮前」というような地名がつけられているところがあるかと思います。

富士山本宮浅間大社は、のちに市町村名にもなるほどの由緒ある格式高い神社で、駿河国一之宮であったことから信長も立ち寄ったのではないかと思います。

 

余談ですが、静岡の城を歩こうと題してブログを書いていますので、県内にある駿河国以外の一之宮も名前だけ紹介しておきたいと思います。

伊豆国は、三島市の「三島大社

遠江国は、森町の「小國神社」と掛川市の「事任八幡宮

です。

遠江は一之宮が2つあります。

不思議ですwこちらもまた今度取り上げたいと思います。

 

 

では浅間大社の話に戻りたいと思います。

中世の富士山本宮浅間大社戦国大名とのつながりもありました。

特に武田信玄・勝頼親子と徳川家康は関りが深いです。

武田親子は浅間大社を篤く崇敬し神領の寄進や社殿の修造を行い、信玄の願状をはじめ武田家奉納の品が多く残されているそうです。

境内には信玄の寄進とされる桜も植えられています。

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2月に訪れたので見ごろまではまだまだでしたw

お手植えの第二世だそうですw

 

徳川家康は、関ケ原の戦いの勝利のお礼として、本殿・拝殿をはじめ30余棟の造営と境内一円の整備をしたそうです。

本殿・拝殿・楼門等は当時のものが現在も残っています。

また、富士山8合目以上を境内地として寄進しました。

 

ところでみなさんは富士山の8合目以上が浅間大社の土地だという事を知っていましたか?

よく静岡と山梨が取り上げられて「富士山はどっちのもの?」という企画をテレビでやりますよね。

さんざん両県民に討論させた挙句、「実は8合目以上はどちらのものでもありません」という結論で終わることが多々あります。

それは8合目以上が浅間大社の境内であるからです。

「いや、そもそも富士山は日本国民みんなのものだ!」という意見もたまに見ますが、まあひとまずそれは置いといて・・・

私はこういう番組を見て思うんです。

富士山の頂上は富士山本宮浅間大社の土地だ。

その富士山本宮浅間大社駿河の一之宮だ。

だったら富士山は静岡の・・・

 

ここまでにしておきましょうw

 

さあ、もう締めようかと思ったのですが冒頭に城の話を少しすると言ってしまったので少ししますw

富士山本宮浅間大社のすぐ隣にかつて大宮城と呼ばれた城がありました。

城主は富士氏です。

浅間大社の大宮司を務める宮司武将でした。(そんな言葉あるのかは知りませんがw)

信濃諏訪氏と似たような感じだと思います。

この大宮城、位置的に武田が駿河に侵攻すると最初に標的となってしまうお城ですが、2度ほど武田軍を追い返したと言われています。

ただ1569年6月に信玄本体が攻撃したこともあり富士氏は開城して退去します。

その後は武田氏の庇護を受けますが、1582年に武田家が滅亡し徳川家康が大宮城を確保します。

しかし同じ年、火災により焼失して廃城となりました。

 

現在は大宮小学校の建っている場所が城跡と言われております。

何か遺構が見られるかなと期待しながら付近を散歩してみましたがよくわかりませんでした。

みなさんも浅間大社から大宮城に行かれる際は(遺構無いですが)、近隣住民の迷惑にならない程度に散策してみてください。

 

 

いかがでしたでしょうか。

城巡りだけでなく御朱印集めなんかも趣味なので、たまには寺社仏閣の話も入れていきたいなと思っていますw(できるだけ戦国と絡めて・・・)

 

ではまたよろしくお願いします。

ありがとうございました。