大納言メモ

好きな事について気楽に書いていきます。

県内の城を歩こう!#5横須賀城

こんにちは!

 

今回は、横須賀城をご紹介したいと思います。

横須賀城と言ってもあの軍港でおなじみの横須賀ではありませんw

静岡県掛川市にある横須賀城です!

 

#2の掛川城から静岡県西部の城が連続してしまっていますが、中部・東部・伊豆の城もいずれ取り上げますのでご了承くださいw

 

横須賀城は、#4で紹介した高天神城から数キロのところにあります。

それもそのはず。このお城は高天神城奪還のための拠点として築かれた城なのです。

ですので、高天神城のすぐ後の#5で取り上げさせてもらいました。

 

横須賀城天正6年、徳川家康が家臣の大須賀康高に命じて築かせた城です。

この城を拠点にして高天神城奪還作戦を開始し、天正9年の高天神城落城まで最前線の城として活躍します。

その後高天神城は廃城となりますが、横須賀城遠江国南方の拠点として存続します。

江戸時代に入ると、明治維新まで約280年間にわたり横須賀藩の政庁として活躍することになります。

f:id:KJDSF:20200610161912j:plain

横須賀城模型

写真は横須賀城の復原模型です。横須賀城跡に設置されています。

このような模型があると非常にうれしいです。素晴らしい模型でした。

 

横須賀城の見どころは、「大手門が2つある」「玉石積みの石垣」そして「入江をもつ半海城」が挙げられます。

 

1つ目の「大手門が2つある」ですが、通常の城であれば大手門は1つしかありません。

大手門とは城の玄関にあたる重要な門です。

大手門からのびる道を大手道、大手道に沿って形成される町を大手町と言います。

東京にも大手町という駅がありますね。城下町に起源をもつ都市には全国どこにでも「大手」(もしくは「追手」)という地名が残っています。

「大手」を見かけたら、ここが城の正面だったんだ、と思ってください。

 

そんな大手門が横須賀城には2つあります。東大手門と西大手門です。

東西に長い城なので利便性をもとめて大手門を増やしたのでしょうか。

模型を見る限りだと藩庁が置かれている三の丸を後に増築したような感じもしますね。

そのため藩庁へ登庁しやすいところに大手門を作ったのかなと思います。

いずれにせよ珍しい構造です。

 

 

2つ目の「玉石積みの石垣」ですが、一般的な石垣は角ばった石を積み上げていきますが、横須賀城では丸い河原石を用いて石垣が築かれています。

f:id:KJDSF:20200610162105j:plain

玉石積みの石垣

丸い河原石を積み上げることを玉石積みと言います。

写真のような玉石積みの石垣は、私は他に見たことがありません。

おそらく、城の立地が海沿いで石を切り出してくる山が近くになかったこと、天竜川という大河川が付近にあり河原石を調達するのが容易であったことから、このような石垣が築かれたのだと思います。

高石垣もきれいですが、玉石積みの石垣もまた良いですよね。

 

 

3つ目の「入江をもつ半海城」ですが、これは模型でもわかるように、城のすぐそこまで入江が迫っており、海上輸送・海上交通の監視に便利な城であったということです。

海城(水城)とは堀が海(湖)と直結しており、船を利用した物資や兵員の輸送に適した城のことで、瀬戸内海や琵琶湖周縁の城で見ることができます。

またこの入江は当時、逆川という河川の河口になっていました。

逆川横須賀城の北に位置する掛川城の外堀と繋がっており、横須賀城から掛川城まで船で行き来することができたようです。

輸送の面で非常に優れた城であることが伺えます。

ただ、現在は入江は無く海からもやや離れています。

築城当時は確かに入江が存在した横須賀城ですが、宝永4年の大地震により大規模な隆起が発生し、入江が陸地になって海から離れてしまったそうです( ゚Д゚)

 

この解説を見たとき、私は大手門が2つあることよりも玉石積みの石垣よりもはるかに驚きました。

自然の力ってすごいです。

訪れた際にはぜひそんな地球の営みも感じてほしいと思います。

 

 

最後に、掛川城高天神城横須賀城掛川三城と呼ばれパンフレットも作成されています。

車で回れば1日でも余裕をもって巡ることができますので、セットで訪れてみてください!

 

以上で#5横須賀城を終わります。

ありがとうございました。